真宗大谷派西敬寺

道綽(どうしゃく)

 562〜645 中国浄土教の祖師。浄土五祖の第二、また真宗七高僧の第四。西河禅師とも呼ばれる。14歳で出家し、涅槃経の学習に没頭。30歳を過ぎて、山間に持戒堅固な教団を結成した慧瓉禅師の傘下に入り、戒律と禅定の実践に十数年はげむ。禅師没後、609年、石壁玄中寺に曇鸞(どんらん)の碑文を見て浄土教に回心した。観無量寿経を講ずること二百回、日に七万遍の念仏を称(とな)えたという。小豆(あずき)で数をかぞえる<小豆念仏>をすすめた。曇鸞の『浄土論註』を継承した『安楽集』の著作がある。(岩波仏教辞典)